他生の縁

「茶々、帰ってきているけど、どうしたの?」                        「え~っ、 そこにいるの? 心配してたの・・・え~っ!」

猫。ノラの“茶々”。                                     隣の部屋に住んでいた住人が、引っ越し間際に「お世話して」と言いおいて行ったノラちゃん。  「へっ?」 突然の話。そのお隣さんとは話をしたこともなければ顔を合わせたこともほとんどない。唐突過ぎて、言葉も出てこない。当時、我が家では3~4匹の猫がいたので頼みやすかったのだろう。  荷造り終えて今出ていこうとするときにご主人らしき人から「よろしく」と言われた。      「はぇ~?」頭の中ぐるぐるしてる間に二人は去ってしまった。

その晩、「話は聞いてます。よろしくお願いします」と言わんばかりの姿勢で、一階のベランダに茶々は手をついてお座りしている。この子が家のベランダに顔を出したことはこれまで一度もない。初めての登場。「ど~なってんの?」と、意識ふわふわ状態のまま、家の子たちの食事に合わせてベランダにご飯を置いてやる。茶々は朝夕定時に通ってくる。それが日課になった。茶々は夜遅く何度も来てサッシの戸をこすり叩いてご飯の催促をした。そのたびに戸を開けてご飯を食べさせた。(今思えば、寂しかったのかナ・・寒かったのかナ、と。そのときはお腹空かしてるとしか考えられなかった)    家の兄貴分の猫は最初「何だよ、お前は」という態度を見せていたけど、茶々は腰を低くして「許してね。よろしくお願いします」という態度。兄貴分の猫は鷹揚な性格で根が優しいので、茶々は他の猫とも平和に付き合いながら通いを続けた。

そんな日常が定着した頃、育ての親の彼女が来訪。茶々の様子を見に来たと。           この時に初のお互いの会話。駅前にいたノラの子猫に餌やりをしていたら、子猫が彼女の家に来るようになったといういきさつを聞かされる。引っ越し先に連れて行かれない。男性とは別れてアパート暮らしだという。                                       『そーですか』。内心、もうどうでも良い。通いの猫が一匹増えたくらいの気分で面倒見るしかないと思い決めたばかりだった。

ごくたまの来訪が続いたある日、今度は宗教の勧誘の話を持ち出されて、またまたビックリ。滔々とまくし立てるタイプではなく、気持ちを預けて訴えるような眼差し。こちらは話を聞くだけでその気はない。彼女は言い募り、何度目かに先輩を連れてきた。その場ではっきりと断った。例によってその先輩は「霊の祟りがある!」と罵声を浴びせて、再び現れることがなかった。

その後しばらくの間、家の長男猫がガンと診断され、飼い主として半狂乱状態だった。その渦中で奇跡的に“ガンが消える薬”というものに出会って、元々人間用でもある高価な薬を飲ませていた。(若干功を奏してガンは浸潤することなく手術は成功した)                       そのころ、茶々は寒空に放っておくのもかわいそうで、家の中に入れてやり、シャンプーしてリボン付けて炬燵の中で暮らしていた。

そんな中、次はサプリメントの購入を彼女は勧めにやってきた。                 暮らしが大変なのかな、と頭をかすめたが、こちらは「いいかげんにしろよ」の気分。       で、「茶々を連れて帰ってくれ」と申し出た。元々、今住んでいる建物とて動物飼ってはならないきまり。そこに猫4~5匹。あり得ない違反だった。

躊躇した末に、彼女は電車に乗って連れ帰った。そのときに長男猫のガンと薬の話をしたが、何故か、彼女はその薬に興味を示し、パッケージを持ち帰った。

それから連絡は途切れた。                                  数か月後の朝、戸を開けたら、なんと、茶々がいつもの姿勢で待っていた。           茶々を連れてきて、置いて帰ったのかナ、と思った。                     「どういうこと?」と、電話。                               「入院してたの。この前退院したんだけど、入院の前からいなくなっていて・・」

彼女本人は乳がんで入院していたのだという。                         電車で連れ帰った猫に道などわかるはずもないのに、およそ3㎞の距離を時間かけて帰り着いたらしい。茶々は主人を助けてほしくて、助けを求めに帰ってきたのだろうか、と思った。

見舞いに行った。1Kのアパートにひとり寝ている。無理やり退院したという。話を聴いて、他の病院で緊急に診察相談すべきと判断した。彼女には頼る人が誰もいなかった。成り行き上、同行することになった。が、病状が進んでもう手の施しようはなかった様だった。入院が嫌なら家で安静にして居る他に手はない状態。                                       あのがん予防の薬はその参考として気にしていたのだ。しかし、高価過ぎた。それより、もっと早くに病院に行けなかったのか、と思わずにはいられなかったが、別れ、引っ越し、仕事など身の回りが大変だったのだろう。もしかして、茶々を見に家に来ることが彼女の唯一の慰めだったのかもしれない。

「寂しい。側にいて」すがる声。ソーシャルワーカーのスタートラインに立った時だった。空き時間に訪問して話し相手をする。時には買い物のお手伝い。                      しかし、安静生活は長くは続かない。2か月ほど経った時には在宅酸素吸入。数日後には救急車で元の病院へ再入院となった。「救急車に同乗者が必要」と言われて止む無く深夜に救急の都内横断となった。

「関係は?」と、病院で問われて彼女答えて「友達です」。                   『いえいえ、友達ではありません』口まで出かかるが、この状態にある人の前でそれは言えず飲み込んだ。

入院してひと月余り経って、彼女は亡くなった。最後のお見舞いに行って一週間後だった。     事後に知った。

何だったのだろう、と何年経っても釈然としない思いは残る。縁もゆかりもない人に関わられ、とても放っておけない状況に引きずり込まれて。                           「行政に任せておけば良いのよ。それより自分の問題に向き合うべき」と、友人。そのとき、その友人を内心呪った。「なんという無慈悲な言葉。放っておけないよ」と。               今にして思えば、友人の言葉も正論だった。一方で、「まぁ、そんなこともあるよね。お互い様だから」と思いたい。

思い出すたびに気になるのは、『最後、彼女は安らかな気持ちでいられただろうか』ということ。  天国で茶々と一緒に幸せでいます様にと祈る。

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