「生まれ変り」というテーマのTV番組が先日放送された。この類の話は活字の中ではよく目にするが、当人(10才男児)の映像を見るのは初めてだ。
9.11ニューヨークのビル破壊の犠牲者が日本の一般家庭に生まれ変わったらしい。で、その検証を辿った内容。本人の記憶に基づいて、生前の本人の姉という人にたどり着いた。かなり信憑性の高い内容だった。 遺族に対して「安心して欲しい」というのが本人の望みだった。それがようやく叶ったようであり、表情に満足感が広がっていた。また、子どもの異様性に戸惑い、心配しきりだったという母親は涙ながらに安心した様子でもあった。
このケースのように人は何度も生まれ変わり、生まれ出でる場所は世界中さまざま。当然、生まれた国の民族として生きる。歴史上の一人として名を刻む。 水の流れのような“命の流れ”ともいえるこの輪廻転生は、今では世界的な共通認識とも言えるのだけれど、まだまだ浸透率は低い。宗教が壁になっている場合もある。この件のお姉さんは、「宗教上受け入れられない」とのことだった。けれど、感極まった様子で彼を抱きしめていた。
生前はナチスの親衛隊だった者が今生はユダヤ人として生まれ、かつての自分を知らず嫌悪していたというケースも報告されている。 一般的に、記憶を留めていたとしても6~7才位までには消えてしまうらしい。 記憶を無くし、目の前の実情を現実そのものとして捉えて・・・世界は今この有様。
主に領土をめぐって、民族間の争いは有史以来絶えたためしがないけれど、かつての敵は実は自分だった、というお話。または、生前は全く関わりのない所の人生だったにも関わらず生まれ出でた国の歴史上の人物に位置付けられる場合もありそうだ。 記憶がなければ悲惨というべきか、滑稽とでもいうのか。したがって、現在も世界各地で起きている紛争に実は根拠など無さそうだ。民族だの歴代だのは泡のようなもの。 もっとも、ひたすら権力欲に突き動かされてその思いを達成しようとする者たちにとっては、当事国の歴史は都合の良い口実になるかもしれないが。
記憶を無くしているから一瞬一瞬が未来図となる。未知の世界に足を踏み入れて歩を進めて“経験”をする。それが「生きる」ことなのかもしれないけれど…。 真相に思いを馳せながら、あちこちの残虐な乱闘騒ぎを見聞きする日々の中、生きることに纏いつく愚かしさが残虐さと一体となって迫って来る。
「生まれ変わり」とか「輪廻転生」などの言葉はどことなく際物めいたイメージがまだまだ残っており、世界的に周知されてはいても実生活への浸透までには至っていない。 宇宙の真理とでもいうべきか、要は当然の理としてこれが人々の内面に納まっていれば社会、世界はまるで違った様相を呈するであろうことが期待できる。
生育過程のどこかでしっかりと学ぶ機会を得たい内容ではある。
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