亡くなった人と話ができる❓ ((´∀`*))

「ディープフェイク」ドラマ。

AIが連れてきた新手の世界か、と一瞬身構えて恐る恐る指の間から眺めてみる。 進化した映像による視覚に加えて、疑似音声が容易に状況を信じさせる点が驚異だ。疑念を抱くことは難しい。そして、主にこの巧妙な既知の情報裏付けを伴った視覚と聴覚による状況認識が“ディープフェイク”の目玉であり、ビジネスシーンを含めた生活のなかで予想される悪用に備えた対策が、急務となっている。実際の被害実例をも含めて、すでにアラームが西欧諸国で鳴り響いているらしい。

早い。もうここまで来てしまったのだ…。『AIなんていじってると、面倒なことになるなぁ~』と内心呟いていたのはついこの前のこと。

やれやれ・・。が、ひと息ついて振り返ってみれば、それらしいものは様々な形で有史以来存在し続けていることに気付く。その代表的なものはもちろん宗教だ。これが“ディープフェイク”でなくて何だ? と。まるで大発見したかのような今更の心境。当然、轟轟たる非難に見舞われることは承知。要は、それくらい深く根づいている。

「嘘か真実か、それにどんな意味があるんですか⁈ 大事なのは幸せ(感を得られる)かどうかじゃないですか!」このテーマで福祉的事業を展開するドラマ中のセリフ。内心強い響きに迫られて、驚いた。結構、的を得たセリフだ。

「嘘か真実か、それにどんな意味がある?」これは今後の、いや昔からの人の世のテーマかな、とまたもや再発見の心境。

どんな利用の仕方が想定されるかを描いたAIのこのドラマは、「システムに倫理と道徳が欠けている」と断じて内心の揺れを一時止めてくれたけれど、宗教と共にあった古の世界に心は飛ぶ。

辛く悲しいときに、多くの人にとって今も昔も神は最後の拠り所だ。 神を見た?感じた? いえいえ、そう教わっただけ。思い込んだらそれが真実。ここが肝心。 実際のところ、この「思い込み」は様々な面で生活の営みに運用されてきている。ベクトルエネルギーとでも言うのか。思い込みが人生を切り開くことは周知の事実(もちろん、マイナスイメージをため込めば当然それなりの結果となる)。思考が人生を決定するのであれば、より良いイメージを抱いて「思い込む」ことが最善であることに間違いないだろう。 で、AI機能を搭載した映像を多角的に精査した上での“フェイク”ならば、ケースによっては、利用はけっこう有効かもしれない。と、とりあえず希望予想図をイメージしてみる。けれど、そう簡単にはいかない。表層的意識で受け止めるか、深部意識まで到達させられるか、それは受け手の心理が最終決定することとなり、そうそう安易に予想はできない・・・等々の思いを巡らせて、ふっと気付くとイメージはお馴染みの「洗脳」に重なっている。 内容がどうであれ、個別的にも社会的にも洗脳は古代から力を奮ってきた。社会を形成してきた。 只今のこの映像は、洗練された技法を用いて、その役を替わりますよ、という本態AIのプロローグなのだと、ようやく腑に落ちた。

この俗世にあって、AI、身の振り方がなかなかに難しい。栄光の寵児は予想もつかない不気味さをヴェールで覆っており、先行き“知能モンスター”化して波乱を引き起こすやも知れずと、遠目に眺めて万人の危惧するところだ。 もうすでに、眺めやるその間も置かずAIは家の戸口に立っている。軒を貸したつもりが瞬く間に母屋を獲られる恐れも...。血の通った人間が主人の座をどこまで保っていられるか・・。

虚々実々を交えて怒涛の心理ゲームが始まろうとしている。始まっている。

人間の内面に関わる技術の進化が果てもなく続いて行く...。未来図は、生身の人間の英知にかかっている。

AIに惚れてはならない。心を許してはならない。 そして・・所詮ツールに過ぎないAIの司令塔への警戒を怠ってはならない

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