フジTV局のこの度の騒動の発端となった当事者に対する見方は、実際のところ屈折した感情が種々混ざり、どことなく着地しづらい心地悪さを感じている。「業務延長上の性暴力」を消化しきれないものが残る。同じ女性として割り切れない感情を抱く人は少なくないだろうと想像する。特に年代が古ければそれだけ喉元を通過しにくいのではないだろうか。
9,000万円がデマだったと分かって、いくらか気持ちの高まりは収まったが、この度の扱いにしこりが残る。嫉妬。生来嫉妬心にはあまり縁はないけれど、件の極上扱いには「ムムムッ」ときた。同様の感情を抱いた人はけっこう多いのではないかと想像する。
紐解けば、感情は 経験してきた過去に対する恨み、自身への怒りのようにも思われ。
仮に、時代を昭和としよう。そして、この事案に出会えば・・・
「そんなところに出掛けて行くあなたが間違っている。相手は予め『二人』と言っているでしょ。しかも、場所は相手の住まい。わずかにでも事態を想像できなかった?」 「仕事、疎かにはできなかった?そうね、相手が相手だから。けど、だからこそ、ここは役どころと、そろばん弾く気持ちもあったのでは? めったにないチャンスだもの」
相手にしてみれば、『二人っきり』と言ってある。そして自宅とも。で、それを飲んだとなればハードルクリア。『半ば同意を得た』と答えは自動設定されて相手に迷いはなくなる。外は時代の風が吹いている。成り行きは騒動にもならず「女性も油断してしまったのね~」で、世間の話は終わる。
そんな時代だった。そんな時代が続いて来た。
その中で培った守りの習い性というものがあるけれど、女性がどれほど種々のハラスメント(=他者の人間性をおとしめて支配すること)に逢ってきたことか。その怨念はぬぐい難いものがあることに、この一件で改めて気付かされる。 そして、それが過去のものでは決してないことも眺め渡して再確認させられる。
で・・・。だから、何? 何を言いたいの? そう、これは何だ?と自分に問う。 嫉妬か?恨みか?蓄積してきた怒りか? たぶんそのすべてなのだろう。その感情の層の厚みでこの度の騒動と判定が目前で止まっている。眺めている。
眺めながら社会意識の変遷を思う。なんだかんだと言いながら、「意識は向上してきている」ことを、実ははっきりと実感している。
この件もその変遷の大きな曲がり角にあるのかも知れない…。
その実感の顕著な例が、いつも心の片隅に宿っている。 時は戦後の安定期に入ていた頃。その頃、たいがいの家の庭に倉があった。S君の家で遊んでいると、倉から唸るような喚くような声がよく聞こえてきていた。田舎で「いわず」と言っていた。今でいえば、言語障害者だ。その人は知的障害もあったのかもしれない。
時折、S君のお祖母ちゃんが倉にご飯を持って入って行くのを見かけた。S君の叔父さんだったのだろう。S君のお父さんは公立高等学校の先生だった。家族はおじさんを倉の中に隔離していたのだ。「外に出ることはないのかなぁ?」と、当時子供心にもそれとなく辛さを感じながら見ていた。倉に窓はない。陽の光を浴びることはない。
長じて福祉に向き合ったとき、その光景が強烈に蘇ってきた。「何という扱いだったことか!」と。今なら決して許されない。人権が根付き、尊厳が流布し、障害者支援も充実度を増してきている現代では考えられない光景だ。「どういうつもりだった?」と声を荒げたくなるけれど、当時はそれが集合体の“習い”だったのだろう。家族は傍目には知的で善意の人たちだった。
こうして、つらい思いを体験しながら、少しづつ進化しているのだな、と実感している。
この度のTV局の一連の騒動は、ハラスメントに対する社会的認識変換に至る通過点と見ることができる。難所だった。
会社で、お茶汲みと灰皿配りが朝一番の仕事と言われた遥か昔の入社当時、給湯室で泣いたことが笑い話のような昨今だ。時代は変わった。変わりつつある。
人権と尊厳と自由と・・・。可能性を広げていくのは、声を上げていくのは私たち、自分たちなのだ。
昭和100年の記念すべき進化の的は「抗ハラスメント」であってほしい。この度のTV局の断罪は「抗ハラスメント進化」号砲の第一弾だ。
今回の性暴力判定にも驚くけれど、同時にこの度の関連企業の対応ぶりには驚嘆した。「コンプライアンス」が世間に登場してきたのはつい最近(10年ほど前)で、出番が多く姦しいけれど、この対応が100%コンプライアンスを遵守しようとする意向に基づいているはずもないと思い。右を見て左を見て四方の動向を伺いながら“信用”を抱きかかえて様子見の企業は決して少なくはないだろうとも。企業の倫理観は世間的にそんなには信用されていないはず…この事態で余計な側面を見てしまった。
等々と、いつもの伝で斜に見てしまうが、ここは全面肯定するに如くはなし。この度、この暴風がものを言った。コンプライアンスが大声で叫んだ。企業の英知が結集して意識変革の難所を乗り越えたと言える。
昭和100年歴史的「商人の乱」は今なお続行中だ。