「『叱る』の教育的効果はほとんどない」を新聞紙上で目にした。臨床心理士さんの意見。 その欄で紹介されている内容を見てみれば、親(主に母)が子どもを「叱る」つもりが「怒る」に変貌していく様が紹介されており、「怒る」のニュアンスで「叱る」を論じているように思われた。 「叱る」は子の躾の上で欠かせない基礎教育である。 「子どもの権利」、「子供の意思を尊重」などの文字、言葉が場面を選んで登場するけれど、その以前に子どもの心情を理解してやってるかどうかが問われるところ。 「叱る」は愛情を伴ってこその行為である。「子どもの自主的な判断」など無いので、都度、教え諭してやらねばならない。「分からない」ので、否定してはならない。幾度も幾度も繰り返し。そのやり取りを通じてお互いの絆が強まってゆく。「叱ってる」つもりの「怒る」は自分の怒りの感情を相手にぶっつける行為であり、愛情ではなく、単なるいらだち感情の発散に過ぎない。さらに感情が激して子ども自身の”否定”要素が加わると、これは大失敗。子どもは不快と混乱で参ってしまう。度重なれば、気持ちは親から離れて肝心なところで人生の指標を失ってゆくことになる。 近年、家庭も社会も互いのフィールドを犯さないよう距離をおく気配りに余念がないけれど、本音は「さびしい」。「自分を叱ってほしいと思ってる人は多い」という言葉を聞いたのはずいぶん昔だったけれど、今、これは内面化した切実な思いなのではないかナ。 叱られている時に同時に感じるのは”愛情”。これに浴したい。 但し、高圧感と叱ってるつもりの人の自己満足は残念ながら間違いなく相手にバレる。