成人式を終えた直後に、教養学科「“親”となる」(仮題)を履修することを強力に義務付けして「成人」の必須条件とすることを提案したい。 相応の時間を設定し、最重要課題として社会的諸事に優先的位置づけをする。
この件は、これまで手つかずに過ごしてきたことが不思議なほどの『基本』ではないかと考える。“あいうえお”から始めて文字を覚えるのと同じくらいの基として。 もちろん、手本はそれぞれある。自分の親だ。しかし、親の在り様が千差万別であり、影響は良くも悪くも多大である。“親”という環境で生きてきた自分が、時を経て自己イメージの“親”を果たすこととなるのがこれまでの個々人に委ねられた在り様ではあった。
しかし・・永年の営みに、今、世情が抗議し始めている。
このところ、『毒親』を見聞きする機会が増えてきた。日常語になりつつある。 本来安らげるはずの「家庭」に自分の居場所がないと嘆く子どもが少なくないという現実が露になってきている。
この事態を重く見て、「子どもシェルター」の整備に子ども家庭庁が本年度の課題として取り組んでいる。が、これは対症療法でしかない。存続し続けて稼働できるシステムの構築である。
永い間、家庭は個人に任され、不問に付されてきた領域ではあるけれど、「考える」機会を持つことが、現在の世情の訴えにも応え得る。
「親とは何か」「親の役割」「“子ども”とはどのような存在か」「子どもの期待する親とは」等々を、しばし個人的体験を離れて客観的な視点で考えることが、おそらく重要かつ必要な心掛けを養うきっかけになることだろう。他人の意見に従うのではなく、ふるいにかけた自らの考えを家族に害を及ぼすことなく実践できることが望ましい。
結婚、出産、子育て、等々はプライベートな事柄のように捉えられているが、旧態依然とした縛りのなかで、生きづらさを訴える声が大きくなってきている。
社会を構成する貴重な個々の土台を、今改めて見直しをする時期にさしかかっているのだろう。